ほな、おおきに(ブログ)

2012年7月

土用の丑

 

今日は土用の丑に日。

うなぎを食べて暑気払い~・・・

 

はしてません^_^;

 

高騰高騰と騒がれ、食べる気しませんです(~_~;)

 

そういえば、土用餅も食べてない・・・

 

そのかわりといっちゃなんですが

きょうのおやつは

「あんみつ」

 

あんみつ

 

 

みなさん暑い中、お稽古がんばってはります。

 

あんこ炊いて、寒天煮とかして、豆腐白玉作って

黒蜜もつくって・・・

抹茶アイスはスーパーカップですが(#^.^#)

 

皆さんに「美味しい」

ゆうてもらえたのでよかったです。

 

正確には昨日のおやつ。

今日はこれにY子ちゃん差し入れの和菓子+のゴーカ版♪

写真撮り忘れました(>_<)

 

午後からは篆刻教室へ。

今回が最後です。

先生のブログにのせていただいてます。

http://ameblo.jp/maekawaseiidou2/entry-11313513544.html

 

 

同じ時間帯に

中村武生先生の「豊臣秀吉と御土居堀」の講演会がありました。

篆刻教室へ向かうエレベーターが途中で開くと、すんごい行列\(◎o◎)/!

さすが~~。

 

 

あついあつい一日でした。

 

 

明日も暑くなりそうですが、大きな行事が控えています。

 

ポスター

 

 

どうか滞りなく行われますように・・・

 

 

 

 

篆刻教室5回目

 

今日は蒸し暑い一日でした。

雨も降ったりやんだり・・・

 

午後から自転車で七本松通りを一気に南下!

篆刻教室に行って参りました<(_ _)>

 

30ミリ角に2字の成語印を作ります。

今日は布字まで。

 

らくし

 

コレを朱文で彫りますよ~。

楽只(らくし)

詩経の「楽只君子,萬寿無期」より

楽しむこと。

 

楽しんで彫れるのはまだまだですが、

先生に印刀のチェックもしていただいたので

頑張ってみます。

 

9月の勤労者書道展に出品できるそうです。

 

そうなると・・・

9月は篆刻

10月は書

11月は表装

と展覧会が続きます。

 

 

ゲイジュツの秋ですね~(*^。^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

表彰状

賞状

 

ファミリー賞。

要は3位みたいです。

 

ある親子クッキングコンテストでの成績。

3年前、軽い気持ちで応募したら予選を突破し決勝にすすみ、

準優勝してしまいました。

と~~ってもしんどかったので、

もうでーへん!と思っていたのですが

いろいろと欲がでてきた娘が

「でたい」

と言うので再チャレンジ。

 

上位2位が後日決勝戦するので、3位は次点ですな。

 

残念でした。

 

 

会場、競技前の様子です。

タイトル

 

 

会場 

 

制限時間1時間で、カナダポーク、あきたこまちと地元の産品を使って

親子で料理を作り、競います。

対象は近畿2府4県。

書類審査で各府県代表が選ばれ、実技で予選を行います。

 

練習不足、アイデア不足、アピール不足かな。

 

参加賞です。

賞品

 

 

 

競技に必死で出来上がりの写真を撮るのを忘れたので

応募のときの写真ですが・・・

 

応募

 

 

     ♪サーモンハンバーグととうもろこしご飯のライスバーガー

     ♪ほろほろスペアリブ

     ♪ジュレめん。

     ♪メイプル抹茶バウム

 

 

優勝したらカナダへいけるんですよね~~。

 

来年が最後のチャンスですが、

リベンジするかどうかも含めて

どうなりますやら。

 

 

 

 

 

 

れきしくらぶ 信長編さいごは・・・

 

3回にひっぱりましたが、これで最後です(^_^;)

 

大徳寺までいったら、近くには今宮神社があります。

ここには、旧西陣小学校あたりにあった阿弥陀寺のあとにできた

織田稲荷神社が移転して祀られています。

 

近道して、正面から入らず横から入りました。

横ってあぶり餅屋さんのあるところです。

 

久しぶりに前を通ったら、「一和」さんは改装中でした。

百年に一度の改修とか!?

あぶり餅やさん

 

美味しそうに食べてはるお客さんと、

子供達の「食べたい」コールを知らん顔して素通りし、境内へ。

 

茅の輪がありました!

茅の輪

 

そうでした、夏越の祓いの日でした。

ラッキー!

 

じゅんばん

 

説明どおりに茅の輪をくぐって

 

織田稲荷神社へ。

 

織田稲荷神社

 

最近に移転したらしいですが、なぜかはわかりません。

今宮神社はほかにもいろんな小さな神社があります。

 

本殿のほうでは神事が行われていました。

 

神事

 

 

 

さて、予定ではこれでおしまいなんですが・・・

 

もう一軒、織田信長に関係のある神社が近くにあります。

 

はい、

 

建勲神社です。

明治時代にできた神社で、織田信長をお祀りしています。

 

子供達に行ってみるか聞くと、

「行きた~い♪」

とのことで(~_~;)

 

最後に建勲神社に行きました。

今宮神社の正面から出て

 

今宮神社

 

わが母校の前を通って(ああ、子供達はもうあんな遠くに・・・)

 

建勲神社へ

 

 

建勲神社にたどりつきました。

 

建勲神社

 

 

お参りして、今回のれきしくらぶは終了~~!!

 

ここまで地元にかえってきたら、もう歩いて帰ります。

 

今回もよく歩きました。

 

9キロ、15000歩(^.^)/~~~

 

 

今回参加してくれた、K春ちゃんママお疲れ様でした!

これに懲りずにまた参加してくださいね(^^♪

 

 

また、3回にわたり、拙いレポートを読くださった方、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

れきしくらぶ 信長編つづき

 

さて、本能寺跡をあとにし、次は現在の本能寺へ向かいました。

秀吉によって現在の位置に移転させられました。

 

河原町通り沿いの入り口はとっても狭く、人が二人ならんだらいっぱい。

裏口

 

狭い通路をぬけると、ひろい境内がありました。

信長のお墓の隣には、本能寺の変での殉職者のお墓もありました。

この方向にお墓を建てたのは、その後ろには御土居堀があったからだそう。

お墓

 

お参りして、ここでお昼にすることにしました。

 

本堂にはひっきりなしに参拝者があり、観光客に見られながらのお弁当タイム♪

お弁当

 

 

じわじわ暑くなってきたので、宝物館に涼をもとめましたが、あんまりエアコンは

効いてませんでした(>_<)

 

節電の夏。

 

 

寺町通り沿いの正面入り口から出ましたが、入った裏口とはちがい

立派な構えでした。

正面

 

つづいて、同じ寺町通りにある、阿弥陀寺へ。

バスにて北上、移動しました。

 

こちらにも信長のお墓があるのですが、

真新しい卒塔婆やお花、お茶がお供えされていて

6月2日の本能寺の変にあわせた供養が行われたと思われました。

お墓2

 

ここでの話しは、もう、眠たくて・・・なんの話か聞いてません(-_-;)

 

ただ、またまた前部長のT緒ちゃんが、分厚い戦国武将の本を持参していて

それを熱心に見ながらお墓の家紋を調べて、

「これは織田家の家紋」「こっちは黒田家や!」

と家紋調べに夢中やったのは覚えています。

 

手水鉢にも織田家の家紋「木瓜」が刻まれているのを見つけてはりました(*^^)v

手水鉢

 

この阿弥陀寺も、秀吉により寺町通りに移転させられたのですが、もとの場所はというと・・・

旧西陣小学校あたりなんだそうです。

 

次は、そちらへ向かいました。

なんにもそれらしき目印はありませんが、織田稲荷神社という神社が

阿弥陀寺の移転後に立てられ、それは「元伊佐町」というところに

あったそうです。

寺町に移転する前の阿弥陀寺がここにあったということは、

織田信長の遺体かお骨が、この地にいったん運ばれたかもしれません。

 

おつぎは、秀吉が織田信長の葬儀を行った大徳寺の塔頭「総見院」へ。

 

小雨が降ってきました。

 

大徳寺のなかの茶処で少し休憩してから、総見院へ。

総見院

 

拝観はできませんので、外から眺めただけです。

 

「秀吉が信長の葬儀を行った」

という事実は、後世の我々が聞くと、信長の次に天下人となったのが秀吉やから

秀吉が取り仕切ったのかな。

と思いがちですが、当時は戦国の世で、次を狙っている武将がたくさんいます。

そこで、秀吉は世間に次は自分だということを知らしめるために行った

パフォーマンスということらしいです。

 

 

あとちょっとなんですが続きは次回にヽ(^。^)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6回れきしくらぶ 今回は信長編~

6月最終の土曜日、今年に入って初めてのれきしくらぶ野外活動です。

 

今回は子供達にも人気の信長編!

 

まずは、信長の戦国時代の京都はどんなようすだったか

をイメージするため、「ひと・まち交流館」へ。

ここは、いつも五色百人一首の練習会があるところですが

今回は地下にある「洛中洛外図屏風」を見にきました。

 

1階のパネル展示では、平安時代から明治にいたるまでの

京都の町の盛衰をわかりやすく説明してあります。

戦国時代の京都はかなりすたれていて、家のある場所は北のほうと

南のほうにわかれて固まっていて、平安京の時代とは町の規模が

全然ちがいます。

 

そんな戦国時代、信長が上杉謙信に送った(ワイロ?)洛中洛外図屏風には

庶民の家の屋根は板に石がのってるだけの粗末なものでした。

 

 

戦国時代の京都をイメージできたところで、次は本能寺・・・

という予定やったのですが、前々日の新聞に「旧二条城跡」の発掘現場の

現地説明会があるとの情報があり、予定変更してそちらに向かいました。

 

「旧二条城」は、室町幕府最後の将軍足利義昭のために織田信長が作った

お城です。

なんとタイムリーな!

前部長のT緒ちゃんもちゃんとチェックしていて、学校で娘に

「いきたいな」とゆってたそうです。

 

現場に到着すると、たくさんの見学者で、すでに説明が始まっていました。

旧二条城跡

 

かなり深い濠であったことはわかりますが、参加者の皆さんが次々に質問

されている内容なんかは、私にはさっぱり・・・(~_~;)

 

いただいた資料から、外郭濠推定ラインの西端は、京都府庁前の新町通りになっています。

「ひと・まち交流館」でみた戦国時代の京都の地図では、北の町と南の町をつなぐ

メインストリートは室町通りのようでした。

ということは、北の町と南の町の真ん中にドンと二条城が建っているかたちになります。

なにか意図があったのでしょうか。

 

しかし、この場所(出水~丸太町)でなぜ「二条城」と名がつくんでしょうね。

 

 

子供達は発掘現場は初めてですが、どんな感想だったでしょう(#^.^#)

 

 

 

さて次は、信長が明智光秀に焼き討ちにあった、本能寺跡にバスで移動。

 

近くの小さな稲荷神社の境内で、そのときの様子を資料を読んでイメージしました。

稲荷神社

 

少ないお供しかつれていなかった信長は、

外が騒がしいのはお供のケンカと思っていたのが

じつは明智勢に攻められたとわかり覚悟をきめ、

弓で応戦、しかし弓の弦がきれたので槍で奮闘するも

ついにはあきらめ、自分の首をとられたくないため

寺の奥の部屋にこもり自害した。

 

 

ドラマによくでてくるシーンなので、イメージしやすいですね(^.^)

 

 

 

稲荷神社を出て少し東へ行くと、「本能寺跡」の新しい石碑がたっていました。

新石碑

 

これは知らんかった。

前のは・・・というと、ちゃんともう少し東に残っていました。

旧石碑

 

「本能寺跡」の石碑に「本能寺」の「能」という寺は度重なる火事のため「ヒ」「ヒ」と2回

「火」の字があるのをさけて「去」のような字に変えられたという逸話が石碑に書いてあったんですが・・・

近くの壁にはってある消防団のポスターをみて

前部長T緒ちゃん「消防団やのに、あかんやん~~」

ってするどいツッコミいれてはりました<(`^´)>

ポスター

 

 

突然ですが、続きはまた(^^)/

 

 

 

 

 

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