れきしくらぶ 信長編つづき

 

さて、本能寺跡をあとにし、次は現在の本能寺へ向かいました。

秀吉によって現在の位置に移転させられました。

 

河原町通り沿いの入り口はとっても狭く、人が二人ならんだらいっぱい。

裏口

 

狭い通路をぬけると、ひろい境内がありました。

信長のお墓の隣には、本能寺の変での殉職者のお墓もありました。

この方向にお墓を建てたのは、その後ろには御土居堀があったからだそう。

お墓

 

お参りして、ここでお昼にすることにしました。

 

本堂にはひっきりなしに参拝者があり、観光客に見られながらのお弁当タイム♪

お弁当

 

 

じわじわ暑くなってきたので、宝物館に涼をもとめましたが、あんまりエアコンは

効いてませんでした(>_<)

 

節電の夏。

 

 

寺町通り沿いの正面入り口から出ましたが、入った裏口とはちがい

立派な構えでした。

正面

 

つづいて、同じ寺町通りにある、阿弥陀寺へ。

バスにて北上、移動しました。

 

こちらにも信長のお墓があるのですが、

真新しい卒塔婆やお花、お茶がお供えされていて

6月2日の本能寺の変にあわせた供養が行われたと思われました。

お墓2

 

ここでの話しは、もう、眠たくて・・・なんの話か聞いてません(-_-;)

 

ただ、またまた前部長のT緒ちゃんが、分厚い戦国武将の本を持参していて

それを熱心に見ながらお墓の家紋を調べて、

「これは織田家の家紋」「こっちは黒田家や!」

と家紋調べに夢中やったのは覚えています。

 

手水鉢にも織田家の家紋「木瓜」が刻まれているのを見つけてはりました(*^^)v

手水鉢

 

この阿弥陀寺も、秀吉により寺町通りに移転させられたのですが、もとの場所はというと・・・

旧西陣小学校あたりなんだそうです。

 

次は、そちらへ向かいました。

なんにもそれらしき目印はありませんが、織田稲荷神社という神社が

阿弥陀寺の移転後に立てられ、それは「元伊佐町」というところに

あったそうです。

寺町に移転する前の阿弥陀寺がここにあったということは、

織田信長の遺体かお骨が、この地にいったん運ばれたかもしれません。

 

おつぎは、秀吉が織田信長の葬儀を行った大徳寺の塔頭「総見院」へ。

 

小雨が降ってきました。

 

大徳寺のなかの茶処で少し休憩してから、総見院へ。

総見院

 

拝観はできませんので、外から眺めただけです。

 

「秀吉が信長の葬儀を行った」

という事実は、後世の我々が聞くと、信長の次に天下人となったのが秀吉やから

秀吉が取り仕切ったのかな。

と思いがちですが、当時は戦国の世で、次を狙っている武将がたくさんいます。

そこで、秀吉は世間に次は自分だということを知らしめるために行った

パフォーマンスということらしいです。

 

 

あとちょっとなんですが続きは次回にヽ(^。^)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




コメント

荷物になるんちゃう?と言っても持っていた本、
役に立って良かった!
持って行った甲斐があったってもんだ~

2012年7月4日 10:07 PM | ちっち

ちっちさん
HなちゃんやT生ちゃんも本持参で、バスの中やらでクイズしたり
みんな熱心やわ~。
それに吸収力がすごい。です。

2012年7月4日 11:20 PM | kaheno

暑い中お疲れ様でした(^_^)/
今から色々教えて貰ったら。。。
歴女の誕生ももうすぐですね♪

2012年7月5日 9:51 AM | るみ

るみせんせい

みんな熱心で、歴女だらけになりそうです(*^^)v

2012年7月5日 10:18 PM | kaheno

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