れきしクラブ

昔の人が歩いた道をたどって清水寺へいこう!

 

久しぶりの「れきしくらぶ」野外活動。

 

夏休みといっても子供達はいろいろ忙しいので

早朝から活動です。

 

今回は、昔の人が歩いた道をたどってみました。

 

7時半に最寄のバス停からバスに乗り、四条烏丸で降りました。

 

出発

 

都名所図絵をみています。

 

洛中のメインストリート、室町通りを南下しました。

 

途中でコンビニに寄って朝ごはんを調達。

これも、子供たちにとっては楽しいお買い物♪

 

呉服屋さんを見ながら、松原通りまで出ました。

 

仁丹

 

松原通りはもともと弁慶と義経が戦った五条通りで、洛中と洛外の境目

だったと聞き、東へ進みます。

 

このあたりに歌人 藤原俊成の屋敷があり、その中にあった

和歌や俳句の神様「新玉津島神社」の前を通りました。

まだ開いていなかったのですが、管理されている方が走ってきて開門

してくださり、中に入ってお参りしました。

神社

 

こんなお宝もいただきました。

 

image

 

説明板の中の、平忠度のエピソードが面白かったです。

平家一門が都落ちしているのに、危険をかえりみず俊成に自作の歌を

選んでもらったという、なんと歌好きな平忠度さん。

 

 

 

鴨川に出ました。

遅めの朝食をいただきます!

 

朝食

 

 

さっさと済ませて、五条の橋をわたります。

 

五条大橋

 

東に向かって歩いているので、写真が全部逆光で(>_<)

 

しかも、お日さんがでてきてじりじり暑くなってきました。

 

 

六道珍王寺近くの町名です。

なんと読むでしょうか?

読み

 

子ども達は、

「車へんをとってみて。金閣寺の別名と、近くの通り名は?」

のヒントに、!!

「ろくろちょう」!

 

清水焼のお膝元らしい町名ですね!(^^)!

 

 

小野

 

お昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えた

小野篁さん。

この世とあの世の境目によくでてきはります(~_~;)

 

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟

 

百人一首に選ばれているこの歌は、隠岐へ流されるときに詠んだそうです。

 

遣唐副使に選ばれ2度も難破したり、隠岐へ流されても生きて京へ戻ったり

さすが閻魔大王に仕えてはっただけに、生命力ありますね(*^。^*)

 

百人一首の中でも隠岐へ流された歌人は何人かいはりますが、

崇徳院のように彼の地で亡くなる人がほとんどで、小野篁公だけが

生きて帰ってきてはるみたいです。

 

ちなみに、競技かるたでは「大山札」といって「わたのはらや」の

六字目まで聞かないと判断ができない「六字決まり」という難しい札です。

 

話が横にそれましたが・・・

 

もうすぐお盆なので、六道まいりの垂れ幕がかかっていました。

六道まいり

 

 

 

やっと、清水寺の最寄り駅「清水道」にでました。

清水道

 

お日さんが、照りつけ日陰もなく暑いです(>_<)

 

参道はちょうどお土産屋さんの開店時間で、

誘惑に負けそうになりながら涼しいお店の横を通りつつ、歩きました。

 

観光客も多く、半分くらいは海外の方らしかったです。

 

 

さて、山門に着きました!

 

狛犬

 

ここからは、

清水寺の七不思議を探そう~!

 

 

参考にさせていただいたブログです

 

http://syoindo.noblog.net/blog/l/10257554.html

 

 

七つどころか、もっとあって(~_~;)

 

本堂は、復興支援?の岩手の南部風鈴が涼しげになびいていました。

 

本堂

 

 

清水寺は坂上田村麻呂が建立したゆかりということもあるのでしょうか。

 

田村麻呂により京へ連れられてきた蝦夷の勇将、

「アテルイ、 モレ」さんの石碑もありました。

 

アテルイ モレ 

 

 

大文字の送り火 薪騒動がありましたが・・・

こんな看板もありました。

 

高田の

 

 

 

 

水筒のお茶がなくなったので、

音羽の滝でお水をいただこうと思っていましたが、

時間が押してるのでパス(>_<)

長蛇の列ですし!

 

 

 

帰り道に通った何軒かある御茶屋さんには、

幕末のエピソードがあり、幾重にも歴史が重なっている

清水寺でした。

 

 

 

 

午後はそれぞれ予定があるので、

五条坂より涼しいバスに乗って帰宅。

 

なんとか午前中に任務完了(〃’∇’〃)ゝ

 

 

子どものまとめをチラ見しました^_^;

ノート

 

 

 

 

 

 

お当番とTシャツ

 

ただいま開催中の

五風会篆刻展♪

 

s-P1090759

 

午前中は、お当番にいってきました。

といっても、作品をみせていただいたり、おしゃべりしたりで

何にも役にたちませんでした^_^;

先輩の皆様すみません!

 

搬入のときに、さっと見せてもらいましたが、

今日はじっくり拝見して

先生にいろいろとお話も伺って

おなかいっぱいになりました(#^.^#)

 

会場はひっきりなしにお客様がみえていました。

 

s-P1090760

 

受付では他教室の先輩方と親しくしていただきましたが

今晩の懇親会は残念ながら出席できず(T_T)

 

また次回はよろしくお願いいたします<(_ _)>

 

 

 

 

さて、午後からはかるたの練習に顔を出し、

明日の試合でデビューするチームTシャツをもらいました。

 

子供達はさっそく着て練習!

なかなか強そうなTシャツになりましたよヽ(^。^)ノ

文字を書かせていただきました(^_-)-☆

 

ちょっとフライングですが、こんなかんじ!

練習

 

さあ、明日の試合は落ち着いて、1枚でも多くとってや!!

 

 

 

そうそう、

本日久々の、れきしクラブ野外活動「プチ」

がありました!(^^)!

 

 

ちず

 

ご興味のある方、8月5日までやってます

@大谷大学博物館

私は行ってないので、レポート省略ですっ<(_ _)>

 

 

 

三条天皇北山陵

 

土曜日のかるたの練習後、ちょっと寄り道しました。

 

天皇陵

  心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

 

藤原氏全盛期に、しいたげられた人生だった三条院が、

天皇の位を退くことを決意した時の夜、明るい月をみて詠んだ歌・・・

 

と、相方が子供達に説明してるときにも恋バナ^_^;

 

百人一首にでてくる歌人のお墓や、歌に関係する場所が、

ちょっと寄り道で行けるということが京都に住んでる良いところなんやけど~。

 

この歌は、語呂合わせで

「心に小石(こころにこいし)」

と覚えるんですが、せっかくかるたをやってるんやから、

そういうことにも触れて歌のイメージがひろがればいいなと。

 

 

ちょっとでも記憶に残ってたらいいか・・・

そういう私も小学生の時はそんなこと興味なかったし・・・

 

 

プチ京都人自慢?でした(^.^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五色百人一首中南和大会 ついでにプチれきしクラブ

 

橿原神宮前にて五色百人一首の大会があり、

娘のお友達2人と一緒に、参加してきました。

 

チャンピオンズカップという、奈良、大阪、京都のクラブチーム独自の

大会で、今日は年間チャンピオンが決まる大会でした。

ちょとはやく着いたので、近くにある久米寺へお参りに。

「願い玉」というのがあったので、なでなでしました。

 

久米寺

            「勝てますように」

 

 

娘たちの成績は・・・

 

試合

 

 

 

・・・次にむけてがんばりましょう!!

 

でも優勝を狙えるクラブの6年生の一人は

負けて悔しくて・・・表彰式にも動けないくらいでした。

小学校最後のチャンピオンズカップなので、

毎日がんばって練習してはったことと思います。

 

泣けるほどの努力ってすごいな。

 

 

帰りは、プチれきしクラブということで

古代の宮都めぐりをして帰りました。

 

まずは、持統天皇が694年に遷都した藤原京跡。

 

となりで少年野球をやっている、そのひろ~い原っぱには

案内の看板がありました。

 

藤原京

 

平安京、平城京をしのぐ、日本最大の都だったそうです。

向こうには香具山がみえます。

 

香具山

 

    春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

                       持統天皇

 

続いて平城京(710年)跡へ。

平城遷都1300年のときに整備されているので、

当時の様子がわかりやすいです。

ガレージの向こうに朱雀門がみえ、反対側に第一大極殿がみえます。

朱雀門から第一大極殿まで800メートル。

途中に近鉄電車がはしっています。

 

柱の太さはこんなくらい。こちらは、藤原京跡の朝堂院の柱でした<(_ _)>

 

大極殿

 

第一大極殿遠景。

 

ひろい

 

第一大極殿にむかう子供達は左にいるんですが、わかりますか~?

 

中も復元されていて、高御座がありました。

高御座

ゆっくり見学していたら

「日が暮れんうちにもう一軒行きたいしはよかえってきて」

と相方から電話がかかってきて^_^;

 

走ってヒーハーいいながら追いかけました。

ほんま、広いな~。

れきしクラブでいろんなお寺や旧跡いってますが、

どこも広くて、昔の人は今のように足にやさしい靴なんかないのに

体力あるなあ~とつくづく思います。

 

子どもたちも元気ですけどヽ(^。^)ノ

 

でも、藤原京はこれより広かったんですね!

 

最後に行ったのは、平城京の途中でちょっとだけ(740~742年?)

聖武天皇により遷都された恭仁京跡です。

 

泉川(木津川)のほとりにある、恭仁京跡。

恭仁京跡

 

 

石碑と案内板がありましたが、藤原京や平城京と比べると

簡易の都だったのかなあという感じです。

 

 

帰りの車内で、こども達はかるたの練習(^.^)

わたしは、ほとんど熟睡(~_~;)

 

前日に少年補導委員会の役員懇親会(忘年会)があったので・・・(#^.^#)

 

その時に描いてもらった似顔絵です。

 

似顔絵

 

小4のAちゃんに可愛く描いてもらって嬉しかったです♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7回れきしクラブ 藤原道長あたり・・・後編

 

 

 

 お待たせいたしました。

 

れきしクラブ、続きです。

 

 

 残念ながらIリッシュ家は宇治、

2年生のT生君は京阪三条でお別れ。

 

三条から市バスに乗り、荒神口でおりました。

 

人通りの少ない荒神口通りを少し西にはいると、

ひっそりと建つ碑と説明板が。

法成寺跡

 

法成寺址

となっています。

 

このお寺は、藤原道長が建てた壮大なお寺で、

平等院のモデルになったといわれています。

 

いまはこの石碑だけが目印ですが

説明板をみて、当時のお寺の広大なお寺の範囲を

想像しました。

 

ここから西へすぐの御所のほうへ。

北へ向かって約250メートルほど歩きました。

大宮御所の北の端まできました。

 

土御門

 

今歩いたところが、上東門邸(土御門邸)と呼ばれた

藤原道長の邸宅跡です。

ちょうど邸宅の東の端、馬場の辺りを歩いたことになります。

午前中に行った源氏物語ミュージアムで、上東門邸がモデルとなった

ともいわれている、光源氏が住んだ六条院の模型をみてきたので

だいたい想像がつきます。

ここで、道長は有名な歌

 

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

 

を詠みました。

 

さて、そろそろ水筒のお茶がなくなってきました。

 

どこかコンビニで調達~と思ってたら

すぐ北側に染井の名水、梨木神社があるではないですか!

この神社は新しく、平安時代とは関係ないですが、

お水をいただきにお参りしました。

染井

 

 

染井ルール

 

おいしいお水をいただいたあとは、

斜め向かいの

蘆山寺へ。

 

蘆山寺

 

ここは、紫式部が源氏物語を執筆したお寺・・・

ではありません(*^_^*)

紫式部が源氏物語を執筆した家があったところです。

そこへ、後世蘆山寺が移転してきました。

ちゃんと、お寺の玄関先にそう書いてあります。

 

ろさんじ

 

道長の住む上東門邸とここは、目と鼻の先。

紫式部の職場ってとても近かった!?

 

蘆山寺には、「源氏庭」という白砂と苔の美しい庭があり

 

源氏庭

今は桔梗が見ごろで

紫式部とその娘の大弐三位の歌碑がありました。

 

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 

            

ありま山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

 

 

親子碑 

日比野光鳳先生筆です。

分かりにくいですね。やっぱり拓本ですね。

 

 

蘆山寺をあとに、バスに乗りました。

紫式部のお墓へ行きます。

 

紫式部墓

 

ここで、源氏物語にもでてくる、加茂祭(葵祭)のルートが、

今と昔ですこしちがっていたと説明がありました。

 

紫式部墓前

 

 

昔のメインルートの一条通りでは、総勢約850人の絢爛豪華な

行列が通り、源氏物語の第九帖「葵」で、六条御息所屈辱の

車争いの舞台となりました。

その後、下鴨神社から今の植物園の中を通って上賀茂神社に到着。

社頭の儀を終えた斎王一行は、御園橋をわたって知足院(現常徳寺)

や雲林院にたちより、加茂斎院へ帰ってきました。

 

枕草子にも「見物(みもの)は (第二〇六段)」に

加茂祭りのかえりの行列は、たいへんおもしろい。

となっています。

雲林院や知足院のあたりに立っているいくつかの車の様子

や、ホトトギスや鶯が鳴く様子が描かれています。

 

雲林院ですが、今の場所

 

雲林院

 

 とはちがうところにあったそうです。

 

説明板

 

でも、境内には、僧正遍照の歌碑がありました。

 

あまつ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 

あまつかぜ

 

 

 

近くのンションが建っているところが、もとの雲林院です。

 

雲林院

 

発掘調査の結果、離宮跡であったことがわかったそうです。

広大な敷地の西の端の一部に、いまの雲林院は建っています。

 

 

ここをかつて斎王一行が立ち寄ったんですね。

 

 

それから、斎院はどこにあったかというと・・・

 もう少し、南、ぐるぐる歩き回ったので、方向がわからんように

なってきました^_^;

 

民家の奥にある鳥居をくぐると

 

七野神社

 

櫟谷七野神社の境内にでました。

表はこんな鳥居でした。

表鳥居

 

この小さな神社が斎院跡です。

杭迫柏樹先生筆の「斎院跡」の碑がありました。

 

斎院跡

 

 

ここで、葵祭は終了です。

 

葵祭のルートが、いまと昔で違うとは、考えもしませんでしたが

紫式部や清少納言の、それぞれとっておきスポットがあった

のかもしれませんね。

 

ここで、今回のれきしクラブは終了です。

 

みなさん、ながながとおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

 

 

 

おまけ

 

蘆山寺に「御土居」の跡がありました。

おどい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第7回れきしクラブ 藤原道長あたり・・・前編

 

今回は、9月3日からの国宝「平等院鳳凰堂」の

修理がはじまるのをうけて、今のうち行っとかな~

 

ということで、時代は平安時代、

藤原道長が生きてはったあたりをウロウロします。

 

常連メンバーの子供達に加え、今回は2年生のT生君がママと共に参加♪

ママさんは前回も参加してくれてはります。

それから途中合流で、竜馬編に参加してくれはった

Iリッシュちゃんとママ、パパは初参加で!

 

朝の京都駅。

ミストがお出迎え♪

ミスト

 

 

JR宇治線に乗ります。

 

車中からは、先日の豪雨被害のあとは感じさせない風景でした。

 

 

JR宇治駅はお茶一色!(^^)!

ポストとか・・・

 

ポスト

 

 

商店街は、抹茶やお茶製品だらけ・・・

 

まだ朝早いので開店準備のお店が多い中

 

「グリーンティー50円」

 

の看板を子供達がみつけ、「のみた~い♪」

 

 

鳳凰堂の混雑を予想してここは無視で^_^;

 

 

世界遺産平等院の入り口につきました。

平等院

 

 

拝観料を払って入ってまたすぐに鳳凰堂内部拝観受付があります。

 

時間指定、一回50人です。

9時50分の拝観でした。

 

20分ほど時間があるので、10円玉の景色や宝物殿を見学しました。

 

初めてみた鳳凰堂

 

 

鳳凰堂

 

「もっと金ピカしてると思った~」

 

と、ほかの観光客さんの声も聞こえました。

 

とりあえず、10円玉と撮っとかないとね(^_-)-☆

今度はいつお目にかかれるかわかりませんから。

 

10円玉と

 

 

 

ちがう角度から

 

 

蓮と

 

 

鳳翔館(宝物殿)は撮影禁止ですが、エアコンが効いていて

快適でした♪

 

鳳凰堂の名前の由来の「鳳凰」さんがかっこよくて(#^.^#)

撮影禁止を残念に思っていたら、娘が屋根の上の本物をズームで撮ってました♪

ちょっとボケでますが・・・

 

鳳凰

 

 

さて、鳳凰堂内部拝観の時間です。

 

平安時代に建てられた鳳凰堂内に足を踏み入れます(#^.^#)

 

50人が入ると、狭い堂内でした。

ご本尊の阿弥陀如来さんや、壁画の説明がありました。

 

壁画の復元が鳳翔館にありましたが、

 

極彩色の壁に囲まれた金箔の阿弥陀如来さんがおられた堂内は、

当時はまさしく極楽浄土の宮殿やったことでしょう。

 

平安時代からここにある建物ということで

ちょっと身震いしました。

 

 

お次は、源氏物語ミュージアムへ。

 

行きと同じ道を通ったら、またもや

「グリーンティー50円」

の看板で反応したこども達。

 

グリーンティー

 

みんな1杯づつ飲んで、すっきりのどを潤しました(*^^)v

 

 

雲りの天気予報で、折りたたみ傘も携行しましたが

まぶしいくらいのよいお天気(^^♪

 

宇治川にかかる赤い橋が緑とともに映えて、

いい眺めでした。

宇治川

 

 

 

子供達も撮影タイム♪

 

橋の上で

 

 

途中、宇治神社へ立ち寄ると

 

宇治神社

 

 

日比野光鳳先生筆の歌碑がありました

わが庵は

 

 

    わがいほは 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり

 

 

 

もう少しいくと

源氏物語ミュージアム入り口です。

源氏物語ミュージアム

 

 

有料ゾーンと無料ゾーンにわかれています。

有料ゾーンは撮影禁止のところと、オッケーのところがあって

なんかややこしいので、あんまり撮りませんでした。

 

平安京と源氏物語に関わることがいろいろ展示してありました。

 

六条院の模型や寝殿造りの邸宅に等身大の人形など、

源氏物語の華やかな景色を想像できる内容でした。

 

20分の映画も2本あって、われわれが観たのは

 

「浮舟」

 

監督 篠田正浩

人形 ホリヒロシ

紫式部の声 岩下志麻

浮舟の声 葉月里緒菜

 

という豪華キャストで、

よくできていました・・・子ども達はどうやったかな(~_~;)

 

 

 

さて、お腹も減ってきたのでお弁当タイム!

 

次に移動のしやすい京阪宇治駅近くの宇治川畔へ降りました。

 

中洲のあるところのほうがよかったけど、ちょっと戻ることになるので

降りるのにたいへんでしたが、橋の下の涼しい場所までがんばりました。

 

そしたら・・・・・

 

 

なんと・・・・・・

 

 

橋の下に・・・・・

 

 

うなぎ

 

 

天然のウナギが!!!\(◎o◎)/!

 

しかも丸々太っていますよ!

 

 

こんなところにいるんですね~

 

びっくりしました!

 

 

電車好きは電車が通る方向、

電車風景

 

景色を楽しむ派はその反対側

 

 

お弁当タイム

 

を眺めながらお弁当を食べました♪

 

おやつ交換もすんで、午後の部へ出発ですヽ(^。^)ノ

 

 

平等院鳳凰堂と源氏物語ミュージアム・・・

 

2ヶ所観光したら、ふつうはこれでおわりちゃいますか?

 

そこをさらに、

この時代を関連付けてまだウロウロするという・・・( ≧∇≦)

 

京都に住んでるからこその、この「れきしクラブ」(相方談)

 

 

続きはまたということでw(*´∀`*)w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

れきしくらぶ 信長編さいごは・・・

 

3回にひっぱりましたが、これで最後です(^_^;)

 

大徳寺までいったら、近くには今宮神社があります。

ここには、旧西陣小学校あたりにあった阿弥陀寺のあとにできた

織田稲荷神社が移転して祀られています。

 

近道して、正面から入らず横から入りました。

横ってあぶり餅屋さんのあるところです。

 

久しぶりに前を通ったら、「一和」さんは改装中でした。

百年に一度の改修とか!?

あぶり餅やさん

 

美味しそうに食べてはるお客さんと、

子供達の「食べたい」コールを知らん顔して素通りし、境内へ。

 

茅の輪がありました!

茅の輪

 

そうでした、夏越の祓いの日でした。

ラッキー!

 

じゅんばん

 

説明どおりに茅の輪をくぐって

 

織田稲荷神社へ。

 

織田稲荷神社

 

最近に移転したらしいですが、なぜかはわかりません。

今宮神社はほかにもいろんな小さな神社があります。

 

本殿のほうでは神事が行われていました。

 

神事

 

 

 

さて、予定ではこれでおしまいなんですが・・・

 

もう一軒、織田信長に関係のある神社が近くにあります。

 

はい、

 

建勲神社です。

明治時代にできた神社で、織田信長をお祀りしています。

 

子供達に行ってみるか聞くと、

「行きた~い♪」

とのことで(~_~;)

 

最後に建勲神社に行きました。

今宮神社の正面から出て

 

今宮神社

 

わが母校の前を通って(ああ、子供達はもうあんな遠くに・・・)

 

建勲神社へ

 

 

建勲神社にたどりつきました。

 

建勲神社

 

 

お参りして、今回のれきしくらぶは終了~~!!

 

ここまで地元にかえってきたら、もう歩いて帰ります。

 

今回もよく歩きました。

 

9キロ、15000歩(^.^)/~~~

 

 

今回参加してくれた、K春ちゃんママお疲れ様でした!

これに懲りずにまた参加してくださいね(^^♪

 

 

また、3回にわたり、拙いレポートを読くださった方、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

れきしくらぶ 信長編つづき

 

さて、本能寺跡をあとにし、次は現在の本能寺へ向かいました。

秀吉によって現在の位置に移転させられました。

 

河原町通り沿いの入り口はとっても狭く、人が二人ならんだらいっぱい。

裏口

 

狭い通路をぬけると、ひろい境内がありました。

信長のお墓の隣には、本能寺の変での殉職者のお墓もありました。

この方向にお墓を建てたのは、その後ろには御土居堀があったからだそう。

お墓

 

お参りして、ここでお昼にすることにしました。

 

本堂にはひっきりなしに参拝者があり、観光客に見られながらのお弁当タイム♪

お弁当

 

 

じわじわ暑くなってきたので、宝物館に涼をもとめましたが、あんまりエアコンは

効いてませんでした(>_<)

 

節電の夏。

 

 

寺町通り沿いの正面入り口から出ましたが、入った裏口とはちがい

立派な構えでした。

正面

 

つづいて、同じ寺町通りにある、阿弥陀寺へ。

バスにて北上、移動しました。

 

こちらにも信長のお墓があるのですが、

真新しい卒塔婆やお花、お茶がお供えされていて

6月2日の本能寺の変にあわせた供養が行われたと思われました。

お墓2

 

ここでの話しは、もう、眠たくて・・・なんの話か聞いてません(-_-;)

 

ただ、またまた前部長のT緒ちゃんが、分厚い戦国武将の本を持参していて

それを熱心に見ながらお墓の家紋を調べて、

「これは織田家の家紋」「こっちは黒田家や!」

と家紋調べに夢中やったのは覚えています。

 

手水鉢にも織田家の家紋「木瓜」が刻まれているのを見つけてはりました(*^^)v

手水鉢

 

この阿弥陀寺も、秀吉により寺町通りに移転させられたのですが、もとの場所はというと・・・

旧西陣小学校あたりなんだそうです。

 

次は、そちらへ向かいました。

なんにもそれらしき目印はありませんが、織田稲荷神社という神社が

阿弥陀寺の移転後に立てられ、それは「元伊佐町」というところに

あったそうです。

寺町に移転する前の阿弥陀寺がここにあったということは、

織田信長の遺体かお骨が、この地にいったん運ばれたかもしれません。

 

おつぎは、秀吉が織田信長の葬儀を行った大徳寺の塔頭「総見院」へ。

 

小雨が降ってきました。

 

大徳寺のなかの茶処で少し休憩してから、総見院へ。

総見院

 

拝観はできませんので、外から眺めただけです。

 

「秀吉が信長の葬儀を行った」

という事実は、後世の我々が聞くと、信長の次に天下人となったのが秀吉やから

秀吉が取り仕切ったのかな。

と思いがちですが、当時は戦国の世で、次を狙っている武将がたくさんいます。

そこで、秀吉は世間に次は自分だということを知らしめるために行った

パフォーマンスということらしいです。

 

 

あとちょっとなんですが続きは次回にヽ(^。^)ノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6回れきしくらぶ 今回は信長編~

6月最終の土曜日、今年に入って初めてのれきしくらぶ野外活動です。

 

今回は子供達にも人気の信長編!

 

まずは、信長の戦国時代の京都はどんなようすだったか

をイメージするため、「ひと・まち交流館」へ。

ここは、いつも五色百人一首の練習会があるところですが

今回は地下にある「洛中洛外図屏風」を見にきました。

 

1階のパネル展示では、平安時代から明治にいたるまでの

京都の町の盛衰をわかりやすく説明してあります。

戦国時代の京都はかなりすたれていて、家のある場所は北のほうと

南のほうにわかれて固まっていて、平安京の時代とは町の規模が

全然ちがいます。

 

そんな戦国時代、信長が上杉謙信に送った(ワイロ?)洛中洛外図屏風には

庶民の家の屋根は板に石がのってるだけの粗末なものでした。

 

 

戦国時代の京都をイメージできたところで、次は本能寺・・・

という予定やったのですが、前々日の新聞に「旧二条城跡」の発掘現場の

現地説明会があるとの情報があり、予定変更してそちらに向かいました。

 

「旧二条城」は、室町幕府最後の将軍足利義昭のために織田信長が作った

お城です。

なんとタイムリーな!

前部長のT緒ちゃんもちゃんとチェックしていて、学校で娘に

「いきたいな」とゆってたそうです。

 

現場に到着すると、たくさんの見学者で、すでに説明が始まっていました。

旧二条城跡

 

かなり深い濠であったことはわかりますが、参加者の皆さんが次々に質問

されている内容なんかは、私にはさっぱり・・・(~_~;)

 

いただいた資料から、外郭濠推定ラインの西端は、京都府庁前の新町通りになっています。

「ひと・まち交流館」でみた戦国時代の京都の地図では、北の町と南の町をつなぐ

メインストリートは室町通りのようでした。

ということは、北の町と南の町の真ん中にドンと二条城が建っているかたちになります。

なにか意図があったのでしょうか。

 

しかし、この場所(出水~丸太町)でなぜ「二条城」と名がつくんでしょうね。

 

 

子供達は発掘現場は初めてですが、どんな感想だったでしょう(#^.^#)

 

 

 

さて次は、信長が明智光秀に焼き討ちにあった、本能寺跡にバスで移動。

 

近くの小さな稲荷神社の境内で、そのときの様子を資料を読んでイメージしました。

稲荷神社

 

少ないお供しかつれていなかった信長は、

外が騒がしいのはお供のケンカと思っていたのが

じつは明智勢に攻められたとわかり覚悟をきめ、

弓で応戦、しかし弓の弦がきれたので槍で奮闘するも

ついにはあきらめ、自分の首をとられたくないため

寺の奥の部屋にこもり自害した。

 

 

ドラマによくでてくるシーンなので、イメージしやすいですね(^.^)

 

 

 

稲荷神社を出て少し東へ行くと、「本能寺跡」の新しい石碑がたっていました。

新石碑

 

これは知らんかった。

前のは・・・というと、ちゃんともう少し東に残っていました。

旧石碑

 

「本能寺跡」の石碑に「本能寺」の「能」という寺は度重なる火事のため「ヒ」「ヒ」と2回

「火」の字があるのをさけて「去」のような字に変えられたという逸話が石碑に書いてあったんですが・・・

近くの壁にはってある消防団のポスターをみて

前部長T緒ちゃん「消防団やのに、あかんやん~~」

ってするどいツッコミいれてはりました<(`^´)>

ポスター

 

 

突然ですが、続きはまた(^^)/

 

 

 

 

 

第5回れきしクラブ 百人一首編

今回は、百人一首ゆかりの地を巡りました。

ゆかりの地といっても、たくさんありすぎて絞りきれないところですが・・・(^_^;)

とうことで、歌の読まれた景色を中心にまわりました。

 

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 

                              藤原定家

 

まずは、3日から6日まで特別公開されている冷泉家へいきました。

冷泉家

冷泉家は、明治になっても天皇さんを追って東京に移らなかったために

約400年この地に存在する最古の公家住宅です。

また、百人一首を選定した藤原定家を祖先に持つ「和歌の家」です。

9時から公開で、少し前に着いたのですが、行列できてました。

小学生は保護者の引率で無料、ラッキー♪

中へ入ると、所々で保存会の方が建物の解説をしてくださいました。

解説の方、同志社の学生さんでしょうか、初日しょっぱなということもあってか

カミカミで^_^;見学者の質問に答えられない場面も・・・

解説も大変です。

建物中心の見学やったので、子供達には面白くなかったかも?

私は、襖の唐紙や、後桜町天皇直筆の掛け軸の表装がモダンで素敵で(*^_^*)

もっと近くで見たかったです。

唐長さんに版木が保存されていたという黄土色に地紙に雲母で型押しした

「牡丹唐草」の唐紙が貼られた襖の座敷は、歌会が催される間で、

歌を詠むおりに、室内から季節性を排除して絵柄が邪魔にならないよう

考慮してあるとのことでした。

 

ちょっと百人一首からそれました(^_^;)

 

 さて、冷泉家を出てお隣の相国寺へ、定家さんのお墓参りへいきました。

定家墓

 

一番左が定家さんのお墓です。

その隣は足利義政、その右は伊藤若冲のお墓です。

??なんで、平安、室町、江戸の三世代にわたったお墓が

ならんでいるのでしょう??

 

 

滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

                        大納言公任

この、「名古曽(なこそ)の滝」跡が、嵯峨大覚寺内にあります。

バスに乗り、移動しました。

 

途中の広沢の池です。広沢の池

 

紅葉の頃には、池に移った山が綺麗でしょうね。

山越えでバスを降りたので、けっこう歩きましたよヽ(^。^)ノ

子ども達は、おしゃべりしながら歌を歌いながら元気に歩いてましたが

そうとう歩いたので「いったいどこにあんの?」と、ギモンがわいた頃に

つきました。

大覚寺

 

広い境内の奥、大沢池の横にありました。

名古曽滝

 

滝があったとは、思えないので子供達は「えっ?これ?」というかんじでした。

この歌が詠まれた頃にはすでに絶えていた滝ですから、

うわさの滝はどんなだったんでしょうね。

 

歩きつかれてお腹もへって、辺りは歴史的風土保存地区なのでさえぎる物がなく

のんびりした景色です。

お昼には少し早いですが、名古曽滝跡の横でお弁当タイムにしました。

お弁当タイム

 

お弁当とおやつを食べたら、遊ぶまもなく・・・

拝観料を納めたので、宸殿を見学です。

宸殿の前には、「左近の梅」「右近の橘」がありました。

「左近の梅」?

一般的には「左近の桜」ですよね。

冷泉家の座敷(上の間)の前にも、梅と橘が配されていましたが、

その解説で、本来は「左近の梅」であることを知りました。

 冷泉家も大覚寺宸殿にも、橘にはかわいい実がたくさんついていました。

梅と橘

 手前が橘です。

 

大覚寺は、嵯峨天皇が離宮として使われたころ大変好まれた嵯峨菊が

たくさん栽培されていました。嵯峨菊

 

 

黄色

 

 

 

大覚寺を出て、今度は嵯峨釈迦堂(清涼寺)へ向かいます。

 

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

                        河原左大臣

嵯峨釈迦堂は、河原左大臣(源融みなもとのとおる)の別荘地でした。

河原町五条に大きな家があり、鴨川の河原近くだったので

河原左大臣と呼ばれていました。

宇治の平等院もこの人の別荘地です。

 

 

この近くに定家が選んだ歌を色紙に書き、それを障子に書いて貼ったものが

百人一首のはじまりといわれている中院山荘という山荘跡を探しました。

厭離庵への道

 

 いかにも嵯峨野らしい道♪

この道を出てすぐに看板がみつかりました。

 

中院荘跡

 

今のように、百人一首がカルタの形になったのは、天正(織田信長の時代)の頃に

ポルトガルからカルタ(carta)が伝わって以降のことです。

お医者さんが書くカルテ(Karte)はドイツ語で、英語のカード(card)

もみな同じ語源の言葉です。

 

さて、もう少し歩いて嵐山へ向かいます。

 

 

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

                               貞信公

 

この歌に詠まれた「小倉山」はどの山でしょう(~o~)

小倉山

かなりの人出をかき分け渡月橋に着いてからの質問に、子ども達はぐったりで「わから~ん」

 

子供達の向こうに円く見える真ん中の山が小倉山です。

 

 

嵐山

 

 よく嵐山の風景として使われる山側↑とは、反対にありました。

 

 小倉山の峰の紅葉よ、もしそなたに心があるのならば、このまま散らないで

 天皇の行幸をまっていておくれ

 

「小倉山を眺めて想像してみ~」

と言っても、子供達は歩き疲れてそんなこと聞いてません(-_-;)

 

また人ごみの中嵐電の駅まで戻り、やっと電車で座れて

四条大宮までひといきつきました。

 

 

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

                               小野小町

 

四条大宮から歩いて少しのところに、小野小町が化粧に使った井戸の跡があり

そこへ行きました。

一人激混みの嵐山駅のお手洗いに行って電車が一本遅れた子がいたので

その子についてた私とその子は井戸跡はパス。

見学してきた子どもに「どうやった?」と聞くと

「なんもなかった」の返事でした(/_;)

 

さあ、最後に向かうのは上賀茂神社です。

 

風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける

                           従二位家隆

 

上賀茂神社

 

 この日、国文祭のイベント「きもので集う園遊会」があったのですが

もう終わって撤収作業中でした。それでも、着物姿のかたがチラホラ。

        ・・・行きたかったなあ・・・

 

お嫁さんもいはりました。

世界遺産で結婚式。

いいですね♪

 

ならの小川

 

 夏越の祓いの神事が行われるならの小川の前で記念撮影(*^^)v

 

 

今日もよく歩きました~

1万7千歩でした(^・^)

 

皆さんも長文お付き合いいただき、ありがとうございました<m(__)m>

 

 

 

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